2010年11月20日土曜日

バンコクで出会った人の思い出

起きてタイ関係のニュースを見ていたら、タイ在住の日本人が、東京に住む女性に覚醒剤を郵送した疑いで逮捕された、という記事を見つけた。逮捕された男性の名前が割と珍しい名前だったので、8年くらい前に会ったことがあるのを思い出した。

まだタイに来たばかりで働いてない頃なので、たぶんアメリカ同時多発テロが起きたころじゃないかと思う。知人の紹介で、バンコク内の日本人街でインターネット喫茶を開いた男性が、手伝ってくれる人を探しているので会いにいったことがある。店はある日本料理屋の2階にあり、コンピュータをのせた机を10個ほど並べてインターネット喫茶にしていた。

場所は多くの日本人が買い物に訪れる地区にあり悪くはなかったのだが、そのインターネット喫茶へ行くためには、まず1階のレストランに入り、店の中を横断して奥の階段まで歩き、その階段を2階へ上がる必要があった。最悪の立地だと僕は思った。こんなインターネット喫茶に来る客がいるとは思えない。

その店を経営していた人を、仮にA氏としよう。A氏は大手メーカを早期退職し、タイで一旗揚げようとこの店を開いた。大手企業に長く務めた人によくありがちな、企業内では活躍したのだろうが、自分でやるビジネスには向いてなさそうな人だった。この店の立地にも疑問を感じていない様子だったが、自分の店が全く儲かっていないことには不安を感じているようだった。

前置きが長くなった。僕が初めてこの店を訪ねてA氏を合ったとき、「この店のコンピュータの設定をやってもらったのがこの人なんだ」と紹介されたのが、冒頭で述べた、それから8年後に逮捕されることになるB氏だった。まだ30歳くらいで若く、いかにもITの技術者という爽やかな青年だった。

「実はB氏からこんなビジネスへのお誘いを頂いているんだ、どう思う?」そう言ってA氏が見せてくれたのは、5枚ほどの紙にまとめた事業概要だった。そこには、バンコクの中心部に無線LANを張りめぐらせて、その地域に住む日本人に無線インターネットを提供する事業の概略が書いてあった。「100万バーツ単位で出資者を探しているんだって。200万投資しようか迷っているんだけど、ちょっと見て意見をもらえないかな」そう言うA氏の顔にはB氏への信頼が浮かんでいた。

当時、無線LANはまだあまり普及していなかったが、僕は少しだけ使った経験があり、無線LANの電波は弱く、ちょっと離れたり壁があると電波が届かないことは知っていた。そのため、あらゆる家庭に無線LANの電波を届けるためには、相当な数の無線装置を設置しなければならない。そんなことができるのだろうか、、、

その点をB氏に質問すると、彼は何か急用を思い出したようにその場から立ち去り、それきり彼と会うことはなかった。8年後、報道写真で見た彼の姿は痩せ衰えており、当時のIT青年の面影はなかった。名前がなければ同一人物とは気付かなかっただろう。

A氏とはその後何回かお会いしたが、「共同経営者にならないか」と誘われたのを機に、もうお手伝いできないとお断りし、それきり縁が切れた。しばらく経つとそのインターネット喫茶もなくなっていた。彼がB氏に投資したのかどうかはわからないし、いまはどうしているかも知らない。

僕はその後日系企業に就職し、犯罪とは縁のない生活を送っているけど、一歩間違えばB氏のようになっていたかもしれないとよく考える。

(大筋が変わらない程度に細部は変えてあります)

書評 『ミャンマーの柳生一族』

題名に「柳生」が入っていたり、書評に「笑い炸裂」とありますし、作者の著書を見ても怪しげな題名ばかり並んでいますので、真面目な本に見えないかもしれません。

しかし、実際に読んでみると、現在のミャンマーの政治体制がわかりやすく説明されている、ミャンマーの入門書として最適な一冊だとわかります。

このレビューを書いている2010年11月には、ミャンマーでは20年振りとなる総選挙が行われ、7年以上軟禁されていたアウン・サン・スー・チーさんが解放されました。

では、なぜスー・チーさんは軟禁されていたのでしょうか。ビルマ建国の父であるアウンサンと、現在の軍事政権との関係はどうなっているのでしょうか。

作者は、ミャンマーの現在の体制を江戸時代の日本の「鎖国」に例え、将軍たちを徳川家に例えるという、時間と地理を超越した比喩を用いて見事に説明してくれます。

また、ミャンマーは鎖国されており外国人と触れ合う機会がないはずのに、なぜ人々は社交性に富んでいるのか、その理由が鋭く考察されているくだりなど非常に面白く感じました。

文庫本で安く手に入りますので、ミャンマーに興味があったらぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

2010年11月6日土曜日

タイの洪水とランシットの水門について

10月初旬ころから、タイの東北・中部地方に洪水が発生しています。被害が大きいのはナコンラチャシマ県周辺で、その他にもロッブリ県やアユタヤ県でも被害が出ているようです。

僕の住むパトゥムタニ県も、チャオプラヤー川周辺では洪水が発生。ツイッターで知ったのですが、たまに90日レポートを提出しに行く移民局も水没したため、近所のセント・カルロス病院に仮移転したそうです。

ランシット周辺は土地が低く、大雨が降るといつも道路が冠水するので、もしかしたら洪水になるかも、、、と心配したのですが、ランシット運河は水位が高くなったものの、ギリギリ溢れることはなく、無事に乾季を迎えることができました。助かった~。

でも、どうしてランシットで洪水が起きずに済んのでしょうか、気になりますよね。興味があったのでいろいろ調べてみました。ニュースでは、ランシットにあるチュラロンコーン水門に堰を追加して、放水している様子を伝えていました。



このチュラロンコーン水門、僕の住んでいるソイのすぐ近くです。面白そうなので、散歩がてら歩いて見に行ってきました。

(チュラロンコーン水門)

チュラロンコーン水門は、全部で3箇所にわかれていいました。1箇所目は上のニュース動画の場所、2箇所目はこの写真にある古い水門、3箇所目はこれよりも新しい水門です。

現地に行ってみると、この水門で水を堰き止め、ランシットの水をチャオプラヤー川に汲み上げて、洪水を防いでいることがわかりました。その水位差は1mほどです。水門のおかげで助かったんですね。

この古い水門については、タイ語 wikipedia ランシット運河の項に、「ランシット運河はラマ5世の時代に建設された。東にチュラロンコーン水門、西にサオワパー水門が建てられ、1896年11月18日にラマ5世王妃によって開門式が取り行われた」と書いてあります。なんと114年前の水門です。

同時代の建築物を調べると、かのエッフェル塔が1889年に完成しています。世界遺産に比べれば非常に地味な建築物ではありますが、それと同じくらい古い水門が今もランシットを守っているのですから、素晴らしいことですね。

# 2010年11月8日追記
「中部洪水の原因はランシット運河掘削開始から122年経ち支流も含めて土砂が堆積し水深が浅くなった為」とのニュース@akaguma さんのつぶやきで知りました。古すぎて問題も出ているんですね~。


さて、話は少々変わりますが、身の回りでいくつか洪水関係の出来事がありましたので書いておきます。

まず、タイのテレビ局 Ch3 では、洪水被災者への義援物資を受け付けていました。

(洪水被災地への支援物資をコンテナ車にのせているところ)

(寄付された食料・飲料などを、ボランティアの皆さんが荷造り中、、、芸能人はいませんでしたw)

タイの主なテレビ局や新聞社でも、同様の支援をしているそうです。特に欲しいものはペットボトルの水、インスタントラーメン、イワシの缶詰など。24時間受け付けているそうなので、みなさんも寄付されてはいかがですか。荷造りのボランティアも募集していました。

また、近所のフューチャーパーク・ランシットという大きなデパートに行ったら、いつもは見かけない、通勤用の大型バスがたくさん駐車していました。なんだろう?と見てみたら、洪水被害に遭った地区のバスや自動車に、駐車場を無償で提供していたのでした。


(フューチャーパーク・ランシットにて)

世の中には、いろいろな支援の仕方がありますね~