2011年11月20日日曜日

水の都ランシット(水没1ヶ月)

前回のエントリ(2011年タイ大洪水の原因は?)では、コメントをたくさん頂きありがとうございました。

英語の記事をちょっと紹介しただけのつもりが、Google 先生で「タイ 洪水 原因」と検索すると3位に入る健闘、我ながら驚いております。その後日本の新聞からも良記事がたくさん出ていますので、そちらもご参考にされるとよろしいかと。
他にも良い記事があったらコメント欄で教えて頂けると助かります。

タイに住む人間と、タイで活動する企業にとっての関心は、来年以降もこの洪水は起きるのか?政府の対策によって、来年以降は洪水を防げるのか?という点です。

来年の5月からまた雨季が始まります。今年と同じく、また多くの雨が降るかもしれません。その対処を間違えれば、また今年と同じ洪水が起きるでしょう。

アユタヤ周辺で水没した日系企業の一部は、今回の洪水で被害を受けなかった、また今後も受けないであろう、チョンブリ県・ラヨーン県への移転を決定しています。これは復旧するよりも移転したほうが良いという判断であり、来年以降も洪水が起きるリスクを考慮したのでしょう。

今回の洪水は、タイ国内での政争の道具にもなりました。またいつのまにかタクシン元首相の恩赦令が閣議決定されてます。この政争の中、洪水を防ぐ対策が取れるのでしょうか。今後の治水政策に注目です。


さて、我がランシットの状況もご紹介しましょう。ランシット・パトゥムタニ通りが冠水し始めたのは10月16日。そのときから貴重品・服・食料・奥さん(笑)などを持ち、アパートから脱出しました。

その後水位が上がり、ウチのアパートの1階は完全に水没。近所の人が避難せずに残ったので電話で状況を聞いたところ、しばらくは電気・水道・下水も止まり、移動は舟。流れが早いので手漕ぎボートは使えず、エンジン付きのボートでないと移動できないとのことでした。いまは電気・水道は復旧したものの、水はあまり下がってないそうです(僕の部屋は階上にありますので、直接の被害はありません)。

そんなわけでもう1ヶ月以上、部屋は帰っておらず、いまはバンコクで仮住まいをしています。無理すれば部屋に帰れるのですが、移動手段がなく通勤できないこと、帰るには汚水に入らざるを得ないこと、食べ物を手に入れるのが大変なこと、などから、水が引くまでは無理して帰らず、バンコクにいるつもりです。

昨日(11月19日)のニュースによれば、ランシット市場には1億立方メートルの水が残留しており、あと1週間で排出できるとのこと。あまり期待はしていませんが、楽しみに待つとしましょう。


11月12日に撮影した、ランシット周辺の写真を貼っておきます。

ランシット市場付近。ランシット・パトゥムタニ通りを、ドンムアン高速道路上から撮影。道路が運河になっております。

ウィパワディー・ランシット通り上り線、ロータス・ランシットへのUターン道路。奥に見える大きな建物がフューチャーパーク・ランシット。クルマがまったく通らず、たまに舟が走っていくだけ。静寂。

フューチャーパーク・ランシット。
この洪水の中、Big-Cは休まずに営業を続けました。拍手!左下に見える舟は、Big-Cへ買い物に行くのでしょう。水の中を歩いている人も、Big-Cの緑のポリ袋を持っていました。
11月18日から再開したと聞きましたが、こんな状態ではお客さんも従業員も行けません。無理に再開する必要はないのではと思います。

Zeer ランシット。ここの土地は低いので、排水と再開には時間がかかりそうです。

2011年10月15日土曜日

2011年タイ大洪水の原因は?

しばらくサボっていてスミマセン。9月末に日本へ行って来まして、築地~大阪城~京都、松島~仙台~平泉と豪遊してきました。タイに戻ってきて、さぁまた貧乏生活を再開するかと思ったらアラ大変。我らがパトゥムタニ県に洪水が来ているじゃないですか。

これを書いている10月15日の時点では、すでにロジャナ工業団地とハイテック工業団地が水没。今朝からバンパイン工業団地に水が入り、水位は30-50cmと報道されています。その南に位置するナワナコン工業団地は、現時点では浸水はしていませんが、これからどうなるかはわかりません。

この進行中の大洪水、原因は何でしょう。終わってもないのに原因を分析するのもアレなんですが、良記事をいくつか見つけましたので、そこから引用して紹介します。

原因1: 今年は雨が多かった
タイだけでなく、近隣のカンボジア・ラオス・ベトナムでも洪水被害が出ています。今年は東南アジア全域で雨量が多かった。

原因2: ダムの放水が遅れた 
上流にあるダムが満水になり、複数のダムが同時に放水したために、下流で洪水が発生したとの指摘があります。
昨年の乾季は水不足で、ダムは渇水に悩みました。そこで今年は放水量を抑え、貯水量を多めにしたところ、予想に反して降雨量が多く、水が貯まりすぎた。そこで慌てて大量に放水したところ、下流で洪水が発生した。最初からある程度の量を放水していたら、洪水は起きなかったのではないでしょうか。

原因3: 森林伐採による山の保水力の低下
タイの違法伐採は有名です。拙訳ですがこんな記事もあります。森林の伐採により、山の保水力が低下していると言われています。

原因4: 宅地造成の問題
本来は遊水地であるべき場所が宅地になり、水の逃げ場がないという話。

原因5: ダムや運河に蓄積した土砂
タイのダムや運河は浚渫していないので、貯水量や流水量が落ちているという話。

参考記事
Thailand: Why was so much water kept in the dams?
As Thailand Floods Spread, Experts Blame Officials, Not Rains

実際にはいろいろな要因がからみ合っているのでしょうけど、早く原因が調査され、今後の洪水被害がなくなることを祈ります。

2011年4月27日水曜日

2011年ミャンマー旅行記 その2 ミャンマーの水掛け祭りの巻

「ランシット日記」と言いながら、ランシットの話題が全然でてこないじゃん、ラオスとかミャンマーとか旅行の話ばっかりだ、と悪評名高い当日記でございますが、引き続きミャンマー旅行記を続けさせていただきますよ。

タイは4月13~15日に、ソンクラーンという水掛け祭りがあるのはみなさんご存知の通り。実はこの水掛け祭り、ラオスとミャンマーでも同じ時期にやっているんですよね。

ミャンマーの水掛け祭り(ソンクラーンとは呼ばないようです)は4月12~21日の10日間。タイやラオスと同じく、この時期はみなさん実家に帰るそうで、おかげで今回の旅行はバスの席が取れず苦労しました。

ミャンマーの水掛け祭りは、一体どんなものなのか。行ってみるまでは、鎖国ミャンマーにふさわしい、古式ゆかしい穏やかなお祭りを想像してましたが、、、

実際に見ると、祭りの激しいことタイ以上。ふだん政府に抑えつけられている分、祭りで発散しているのかな~と余計な想像をしてしまいます。

ソンクラーン初日は、ミャンマーの旧都マンダレーにおりました。


大きな地図で見る

この地図のとおり、マンダレーの中央には旧王宮があり、大きな堀で囲まれています。この堀の周りに、さまざまな会社が幅20メートルほどのブースを設置して、堀の水をポンプで汲んで放水し続けていました。これだったら水が切れない・・・画期的な作戦ですな。


バイク、家電、携帯、エンジンオイル、化粧品などの会社が、宣伝のためにブースを設置するようです。数百メートル毎にブースが設置され、大きな音で音楽をかけていました。有名バンドを呼んでいるブースもあります。誰でもブースに上がって放水できるようで、わざわざその前を通る人やトラックが、大喜びで水を浴びています。


気になったのはミャンマー人のファッション。ミャンマーの男性はが大好きのようで、黒い服を着ている人が目立ちました。顔にメイクをするとさらにカッコイイ、そういうセンスのようです。

(これが最新ミャンマー・ファッションだっ!)

話は変わりますけど、ミャンマーの男性って若い人でもビンロウを噛むんですよね。ビンロウを噛んで、真っ赤になった歯を見せて笑い、黒い服を着たその姿、、、ドラキュラを思い出しますねー。

(ドラキュラ伯爵)

以上、初めて見たマンダレーの水掛け祭りでした。

2011年4月19日火曜日

2011年ミャンマー旅行記 その1 乗りもの写真の巻

ソンクラーン休暇の4月9~16日に、ミャンマー旅行へ行ってきましたよ。

ミャンマーを訪ねるのは今回が初めて。この国の噂はいろいろ聞いていましたが、やはり人から聞くのと自分で見るとでは大違い。行ってみると面白いものですね。

ミャンマー人は親切かつ親日的と聞いていたので、なんとなくタイ人やラオス人のような人達を想像していたんですが、それとはちょっと違いましたね。遠慮しないというか、わりと積極的な性格。ミャンマーの国土がインドとタイの中間に位置するように、ミャンマー人の性格はインド人の積極性とタイ人の遠慮の中間に位置するのかと想像しました。

さてこのミャンマー。政府が鎖国しているために、我々の世界ではとうに失われたモノが、ガラパゴス的にいろいろ残っております。住んでいる人々にはいろいろと不便があるんでしょうけど、観光客としては非常に面白い。まずは乗り物の写真を集めてみましたので、どうぞご覧くださいませ。

マンダレーにて。1日12ドルで雇ったタクシー(マツダ製)。かっこいい~

ヤンゴン市内。ヴィンテージカーがたくさん。

マンダレーから対岸のインワに行き、馬車に乗って観光しました。馬車は観光だけでなく、普段の仕事にも使われています(卵の輸送とか)。

メンゴンの牛車。他の牛車は、屋根に「TAXI」って書いてありました。けっこう揺れます。

マンダレーにて。「サイカー」と呼ばれる自転車タクシー。お客は2人乗れます。

インレー湖の舟。4歳くらいの子供でも上手に櫂を漕ぎます。家が水上にあるので、舟を操れないとどこにも行けない。

インレー湖の漁師。湖水が透き通っていました。このあと「こっちくるな~!魚が逃げちゃうだろ!」と怒られました orz

マンダレーからメンゴンへ行ったときに見た帆船。手作りの帆が泣かせます。

2011年3月28日月曜日

タイからの震災支援動画あれこれ

地震があってからというもの、津波、計画停電、原発の事故、放射能汚染といろいろなことがありすぎましたね。だいたいは悲しいことや悪いことでしたけど、そんななか、現場で努力する人たちの姿や、世界中の人々からの善意を見ることができました。

僕の住むタイでは、タイ企業や、タイ人、タイに住む日本人を始めとする外国人などなど、いろいろな方が日本の支援をしていますよ。その動画のいくつかを紹介させて頂きます。

バード・トンチャイという、有名な歌手が歌った「Thai For Japan」という曲。
この動画、ソーソートーでも撮影したようで、みーさんが習ったことのある先生も出演していました。

こっちはタイのテレビ局3チャンネルで放送したときの動画。
タイの女性3人組アイドルグループ、「サーオ・サーオ・サーオ」(サーオ=娘)が歌った、谷村新司「花」のカバーです。
「サーオ・サーオ・サーオ」は、セントラル・ワールド・デパート前で行った震災支援イベント「All Hearts for Japan」でこの曲を歌っていました。むかし日本へ行ったときに、谷村新司本人から歌詞をひとことづつ説明してもらい、タイに帰ってからすぐに訳詞を書き上げたと、そのイベントで話していました。
そのイベントの動画はここにあります。

3月27日(日)早朝から、エンポリアムデパート前で「Run for Japan」というチャリティー・ランが開催されました。参加者は 350バーツを支払い、費用を除いた額が日本へ寄付されます。5,000人以上が参加し、120万バーツ以上が集まったそうです。
僕もみーさんと一緒に 3km 部門に参加し、完走してメダルを頂きました。日頃の運動不足から、途中は少々 Walk for Japan してしまいましたが (^^; 大勢の人と一緒に走る一体感は、ずっと思い出に残ると思います。
日本のテレビでも紹介されたそうで、ここに映像があります。

お隣りの国ラオスでも、歌姫アルーナさんが日本の幸せを祈り歌ってくださっています。

他にも、歌ではありませんが、タイの人たちが日本のために祈っておりますよ。


ひとりひとりが幸せになりますように。

2011年3月13日日曜日

エンポリアムデパートに義援金ボックスが設置

3月11日のお昼過ぎ、ご飯を食べて歯を磨いていたところ、日本から大きな地震があったと連絡をもらいました。

その時点ではまだ詳細がわからず、まずは埼玉・東京にいる家族の無事を確認しようと、実家の固定電話や、両親の携帯電話に電話をしましたがつながりません。そこで電話は諦めてメールを出し、後になって無事全員と知りましたが、返事を来るまで心配で血の気が引きました(後で知ったのですが、災害後は電話をかけてはいけないんですね。今後は気をつけます!)。

いまでも不便な生活の中、家族からの連絡を待っている方がいるかと思うといたたまれない気持ちになります。早くみなさんが安心できる生活になるよう願うと同時に、できることをしたいと思っているのですが、そんな中、エンポリアム・デパートに勤務する佐野さんという方が、太平洋沖地震被災者のために「義援金ボックス」を設置してくれました。設置場所は、

エンポリアム館内
(1)1階&5階のインフォメーションカウンター
(2)4階VAT申請カウンター
(3)G階カスタマーサービスルーム
です。
集まった義援金は、在タイ日本領事館に送られます。
ちなみにこの佐野さん、僕のアイコンを書いてくださった方です。僕の飼っていたネコもそっくりに描いていただいて、とても気に入っております。

僕も今週末は義援金を入れにいってきます。
お父ちゃん、奮発して 1,000バーツ いれちゃいますよ!

#追記、支援は物資よりも義援金の方が良いです。物資は輸送費、保管場所、分配の手間などがかかります。物資を送る場合は事前に相手と相談しましょう。

2011年2月24日木曜日

2011年2月 パンガン島旅行記 その2

その1からの続き。

フルムーンパーティーに行くのは初めてだったんですけど、
ま~人が多くてびっくりしましたね。
1万人くらいはいたんじゃないでしょうか。

パーティーとは言っても、誰かが主催してやっているという感じではなく、
砂浜に面したそれぞれのパブやレストランが、勝手に客寄せの催し物をやって、
観光客はそのへんをブラブラと歩きながら、
200バーツくらいで売っているバケツ入りのウイスキーとかカクテルをがぶ飲みする、
という感じです。

催し物は、火の玉を回すショウとか、DJが音楽をかけてお立ち台でみんなが踊るとか、
いろいろあったんですけど、一番すごいのはこれ。
炎の大縄跳びでございます。
縄にガソリンをぶっかけて、点火してから燃えている縄をぶんぶん回し、
跳びたい人が勝手に入って飛び跳ねてました、、、

これぞアメージング・タイランドですな。


見ていると、タイミングが合わなかったり、転んだりして、
炎が体にぶつかったり、燃えている縄が体に巻きつくこともありましたが、
不思議をヤケドには至らないようです。
もしかすると、彼らは酔っ払って感じてないだけかもしれませんが。
へたれの僕は、やらずとも見ているだけで十分スリルを味わうことができました。

他にも、

  • 4目並べのゲームを持って歩き、賭けゲームの相手を探すタイ人女性
  • 白人男性の財布をスったのがバレて、彼に追いかけられている女性二人組
  • お立ち台の上で愛が盛り上がってしまった白人カップル

などなど、さまざまな登場人物も参加し、フルムーンパーティーの夜は更けていくのでありました。

翌日、我々はお昼ごろの船に乗ってパンガン島を離れ、バンコクへの帰路につきました。

帰り道の休憩所で、靴をなくしたらしく裸足の白人青年が、
パッタイ(タイ式焼きそば)を売っているおばちゃんに対し、
「お金ないんです、、、タダでくれませんか?」と頼んでいたけど、おばちゃんは
「ダメダメ!!」と追い払っていました。
フルムーンパーティーで飲み過ぎて、財布も靴もなくしちゃったんでしょうね、、、同情します。
その後、彼は友達にご飯を分けてもらっていました。

その他、いろいろ楽しいこともありまして、
たった3日ではありましたが、楽しいパンガン島旅行でありました。
おしまい。

日本人にタイを紹介するときの小話

人に頼まれてちょこっとまとめただけのものですが、記念に取っておきます。


~歴史~

タイの国名は、昔はシャム(サイアム)といいました。
1939年に現在の国名タイに変わっています。

シャム猫はタイ原産の猫で、名前の「シャム」はタイの旧国名から来ています。

タイの国旗は、1916年までは象さんの図柄でした。
いまは赤・青・白の三色旗です。

17世紀ころ、当時の首都アユタヤには日本人村があり、山田長政という侍が活躍したそうです。
去年、山田長政を題材にした映画がタイで公開されました。

山田長政役は日本人の俳優、大関正義さん、
相棒を演じるブアカーオは、K-1の優勝経験を持つ、タイの格闘技ムエタイの選手です。


~日本とのつながり~

バンコクには日本人学校があります。
世界の日本人学校で、生徒数が一番多いのは上海、2位はバンコクと言われており、
現在は2,500人の生徒が在籍しています。

タイに住む日本人は、公式には4万6千人です。

ウルトラマンは、タイ人のソムポートが円谷プロに留学した際、仏像の顔をモデルに作ったとも言われています。
モデルになったと言われるスコータイの仏像。

日本から伝わった有名なものとして、「プラーニン(仁魚)」があります。
食料不足に悩むタイ国王に、現在の天皇陛下が50匹を贈ったのが始まりです。
くわしくはここを読んでみてください。


~タイの文化~

タイ人が初対面の人に会ったときは「ワイ」と呼ばれる合掌の動作をします。
タイではドナルドもワイをしてますねー。

2011年2月21日月曜日

2011年2月 パンガン島旅行記 その1

2月18~21日の3連休に、南部のパンガン島まで行ってきましたよ。

(パンガン島、バーン・タイ・ビーチで見た奇妙な船。潜水艦?)

ずーっと勘違いしていたんですが、パンガン島パンガー県って別なんですね。
今回の旅行で訪ねたパンガン島は、タイ湾に浮かぶ島で、サムイ島とタオ島の間にあります。
一方のパンガー県は、アンダマン海に面する県で、奇妙な岩石が有名です。
いままでごっちゃに考えておりました。

今回の旅行、最初はサムイ島に行こうと思って出発したんですが、
サムイ島に着いてから面白いことを聞きました。
「パンガン島では、2月19日の夜にフルムーン・パーティーが開かれる」と・・・
これは行くしかないでしょう、というわけでサムイ島はそのまま通過し、
パンガン島まで足を伸ばしました。

パンガン島に着いたのは18日の夕方、
フルムーン・パーティーが開かれるリン・ビーチはものすごい人。
そのほとんどは白人で、見た感じではイスラエル人が多かったようです。
日本人、タイ人、アジア人はほとんどいませんでした。
困ったことに宿を探しても空室が全く無く、
レンタバイクを借りて、オートバイで移動しながら部屋を探そうとしても、そのレンタバイクが売り切れ状態。
聞いてみると、もう10日も前からレンタバイクの空きがないそうで、、、恐るべき景気の良さ。
フルムーン景気が到来していましたね、パンガン島には。

フルムーン・パーティーが開かれるリン・ビーチでは空室が見つからないので、
ソンテウに乗って隣のバーン・タイ・ビーチへ行ったところ、
一軒家を1,200バーツで借りることに成功。
その後、ちょうど返却している最中のレンタルバイクを発見し、これも200バーツで借りまして、
宿と足を確保。
バックパックを背負って夜中まで歩いている白人も多かったので、
野宿をした人もいたのではないかと思われます。

翌日はバイクで島中を探索。
ココナツ畑が多く、南部に見られるゴム園は全然ないのが不思議でした。
島中のいたるところに病院があり、怪我をして包帯を巻いたりギプスを付けた白人を見かけました。
島は適度に広く、ソンテウ(バス)がどこに行くにも100バーツと割高なので、
200バーツのレンタバイクを借りたほうが得なんですけど、
カーブやアップダウンが多いので、事故を起こす観光客が多いんでしょうね。
僕はすごーくゆーっくり運転しました、、、

全部書こうと思ったけど、書ききれないので残りはまた後で。
次回はフルムーン・パーティー編です。

2011年2月13日日曜日

2011年 正月ラオス旅行記 その4

今回のラオスで見た面白いモノ。

新型電話機。
これ、一見普通の卓上電話機で、何がすごいかわからないですよね。実はこれ、中身は携帯電話なんです。GSMのSIMカードを差して、無線で電話。電池はUSBでバッテリーに充電、電話代も安いそうです。まだ電話線が普及していない田舎では重宝されていて、畑仕事に行くときも持っていくと言ってました(笑)。ラオスのように山が多く、通信インフラも遅れている国では、電話線を敷設せず、ひと足飛に携帯インフラを構築したほうがいいということでしょうね。

カーシーの朝市で売っていた野生動物。
雉、リス、野ねずみ、コウモリ、ボウルに入ったのは虫でしょうか。こういった野生動物はご禁制らしく、僕が写真を撮ろうと声をかけたら、サッと隠すお店もあったんですけど、この店は平然と売っていました(笑)。うちの奥さんのお父さんは、リスや雉が大好きだそうです。

最後に、カーシー近所のクンラーン洞窟。
洞窟までの道路は現在建設中。将来はカーシーの観光名所になる予定。かなり広い鍾乳洞で、ラーン伯爵?のお屋敷だったという伝説があり、この場所は居間、ここは寝室と、それぞれの場所に部屋の名前が付いていました。

この写真のダーおじさんは、僕たちがタイに帰った直後に自動車事故で亡くなりました。写真にある奥さんと息子さんも、同乗していて重傷を負い、他にもう一人が亡くなったそうです。明るく冗談が好きで、働き者のおじさんでした。ご冥福をお祈りします。合掌。

2011年1月12日水曜日

タイ配偶者ビザの延長申請について

タイにおけるノンイミグラントビザ・カテゴリー"O"(通称配偶者ビザ)の延長について、@gensan_pknlさんから情報をいただきました。公開しませんか、とお誘いを受けましたので、許可を得て掲載させていただきます。

このケースは、「タイ人妻と外国人夫」の場合です。「外国人妻とタイ人夫」の場合は、必要書類が違いますのでご注意ください。

手順は、
  1. タイ国外でOビザを申請、取得してからタイに入国。
  2. タイ国内で延長申請。今回のケースではチェンマイ入管で申請、1ヶ月の延長許可が下りました(いまここ)。
  3. 1ヶ月後、タイ国内で延長申請。このときに1年の延長許可が下りる予定です。
初回の延長申請では、チェンマイ入管から以下の書類を要求されました(入管からもらった資料の和訳です)。また、申請の際はタイ人妻と一緒に行く必要があります。

タイ人妻の配偶者が、滞在延長を申請するための必要書類
2008年11月25日

*書類は全て2部必要

1. TM.7 (一時滞在許可期間延長の申請用紙)
2. パスポートのコピー
3. 2インチの写真
4. 結婚証明書(外国で結婚した場合は、当該国の在タイ大使館が発行した、承認印付きの証明書。結婚証明書が英語でない場合は、タイ語または英語に翻訳すること)
5. タイ人妻と子供のタビエン・バーンのコピー(借家の場合は、借家をしている証明が必要)。タイ人妻のIDカードのコピー
6. (もしあるなら)子供の出生証明書
7. 銀行の預金証明書と通帳(外国人単独名義のもの)。記入がある頁全てのコピー。2ヶ月前からの残高が40万バーツ以上あること(タイ国内の普通預金か定期預金に限る)
8. 預金証明書がない場合は、外国人の収入が月4万バーツ以上であることを証明する書類
- タイ国内で働いている場合は、労働を証明する書類(労働許可証、労働契約書または給与証明、領収書を添付した過去3ヶ月分のポー・ゴー・ドー1、前年度のポー・ゴー・ドー91(もしあるなら領収書を添付)、会社または商業登録証)
預金があり、かつ働いている場合は、両方の書類を提出すること
- 年金など、その他の収入がある場合は、それを証明する書類。当該国の在タイ大使館が発行した、承認印付きの証明書。書類は3ヶ月以内に発行されたもの(原本1部、コピー1部)
- タイ以外の国からの労働収入がある場合は、外国からの収入証明書が必要。証明書を発行した当該国の、在タイ大使館の承認を受けること
9. 夫婦が一緒に写っている最近の写真と、家の地図

2011年1月11日火曜日

2011年 正月ラオス旅行記 その3

今回の旅行ではチエン村小学校を訪問しました。

(チエン村小学校の全景)

後ろにパーコイという名の大きな岩山が見えます。巨人が寝ていて、そのお腹が天に突き出ているという言い伝えがあります。右手が小学校、以前は木造の校舎だったのですが、海外からの援助によって、きれいな校舎になりました。左側は幼稚園、木造でだいぶ古くなっています。

校長先生に、何か必要なものはありますかと伺ったところ、幼稚園の校舎がほしいとのお返事。それはいまはできないので、もうちょっと予算の少ない援助を伺ったところ、お金がなくてノートが買えない児童がいるとのこと。そこで小学生全員に、ひとり1冊づつノートを寄付しました。

その後で校長先生と話したところ、学校に1台だけあるラオス語のタイプライターが壊れており、パソコンもないため、印刷物を作るのに苦労している。パソコンがあると助かるのだが・・・ということで、来年はパソコンを1台提供することを約束してきました。

(チエン村幼稚園)

幼稚園は、本来なら年長組と年少組で分けたいのだけど、先生が足りないので1クラスでやっているそうです。黒板も壊れていますが、予算がないためなかなか修理できず、やっと来年に購入できそうだとのこと。先生方の苦労が忍ばれます。幼稚園のチビちゃんたちには、ユーロのカスタードケーキをひとりひとつづつあげました。

(チエン村幼稚園の子供たち)

これは会社の人に頂いたクレヨンや画用紙。幼稚園に寄付してきました。

2011年1月6日木曜日

2011年 正月ラオス旅行記 その2

2010年の5月ころから、ブログやツイッターなどで「ラオスに古着を寄付しませんか」と呼びかけたところ、ありがたいことに複数の方から古着を提供していただきました。どうもありがとうございます!この場を借りてお礼申し上げます。

頂いた衣服はトランク3個分になり、今回のラオス行きでは奥さんが2個、僕が1個をかついで、えっちらおっちらと山奥まで運んで行きました。

はとざえもんの日記はとさんからは、沢山の子供服を頂きました。お友達に声をかけて集めた服を、わざわざ日本からバンコクまで持ってきて下さり、郵便で送って下さいました。頂いた子供服は50~60着ほどありましたので、カーシーの近くにあるタムタイ村に行き、子供たちを呼んで1着づつ配ってきました。

道路の横にいた子供たちに一枚づつあげました。左で爆睡している小さな子にもあげましたよ。

タムタイ村の真ん中にある広場で、みんなに一枚づつあげました。少数民族の村で、まだ電気も水道も来ていません。後ろにいる人達は、ホウキの材料を運んでいますね。ラオスの少数民族の村では、ホウキを作っているのをよく見かけます。

また、タイのよっちゃんから頂いた服と、会社の皆さんから頂いた服を、チエン村で配ってきました。

ウチの奥さんの知り合いの女性です。

おばあちゃんにも進呈しました。ラオスの山の中、夜は冷えるので、竹で編んだ壁だと寒いでしょうねー。

また機会があれば服を送りたいと思っていますので、不要になった服がありましたらいただければ幸いです。バンコク周辺でしたら取りに伺います。ご連絡はメールで nisizawa at gmail dot com か、ツイッターで @nisizawa までお願いします。

2011年1月3日月曜日

2011年 正月ラオス旅行記 その1

みなさま明けましておめでとうございます!
いささか更新が滞りがちの本ブログですが、気が向いたときに書くというマイペースで続けていきたいと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。

お正月は、奥さんの実家のラオスに行ってきましたよ。
場所はこのへん、カーシーという村の近くです。


大きな地図で見る

約10年前にやっと電気が来たという超田舎で、ガスがないので薪を燃やして料理を作り、上水道がないので山の水を引いて水道にし、薪で温めた水で水浴びをするという、モノがないキャンプ生活ですが、モノが溢れても幸せになれない国から来た人間には、学ぶことが多い場所です。

今回は、ツイッターやブログで知り合った方や会社の方から頂いた服を配ったり、学校にノートを寄付したり、川下りをしたり、洞窟を探検したり、タケノコを掘ったりと、いろいろ楽しいことがあったので、順々に日記に書いて行きたいと思いますが、まずは道路と鉄道の話を。

地図を見るとわかるとおり、カーシーから北部の都市ルアンパバンへは、国道13号線を北上して行きますが、これに代わる新しい道路を建設していました。カーシーから左に折れ、北にある山地の西側を通ってルアンパバンへ行く道で、いままでよりも少し短くなるそうです。

(建設中の道路の風景)

この工事、川のそばでやっているものですから、土が川に流れこんでしまい、いつもはきれいな川の水が濁っていました。

(カーシー付近を流れるリーク川)

あと1年くらいで工事は終わるそうですが、早く工事が終わり、元の澄んだ水に戻って欲しいですね。
それと、ラオスのどこに行っても話題になっている、中国~ラオス~タイ~マレーシアを結ぶ高速鉄道。カーシーの近くで中国人技師が測量をしていました。

(測量をする中国人技師)

写真に写っているこの人に話しかけましたが、言葉が通じませんでした。顔つきからして中国人のようです。背中には「中国中鉄二院」とありますので、成都とラサをつなぐ新鉄道を建設している中鉄二院が、ラオスの測量を受注したのでしょうか。

この高速鉄道、カーシーにも駅ができるそうで、そうなったら僕の住むランシットからカーシーまで、5~6時間で行けるんでしょうね。いまはバスを乗り継ぎ丸一日かかっていますので、大きな変化になりそうです。

ラオスの人に話を聞くと、バンビエンには中国系のホテルがどんどんできているとか、中国人が近所の土地を200万バーツ即金で買ったとか、高速鉄道の各駅に5,000人ずつ中国人を住ませる予定とか、いろいろな噂を聞きます。大国の隣の小国がこれからどうなるのか、ラオス人自身も不安に感じているのでしょう。世の中が変わっても、ラオス人の幸せは続いて欲しいものですね。

追記
高速鉄道については、以下に拙訳がありますのでご参考まで。
中国が高速鉄道へ資本投下、運輸省が話し合いへ前進
驚異の高速鉄道 中国-ラオス70億ドル トンネル掘削200km 汽笛第一声は4年後